主役は、ことによると木に登ってる見物客なのではないかというほどに、噺のでたらめさ(切断と非構築性?)を鷹揚に泳いでいくということ。それがつまり落語の神髄(三遊派の神髄?)なのではないかと、帰り道、なんとも壮大なことに思いをめぐらした「花見の仇討」だった。ちょっと、ぐっときている。

11:18pm March 26th 2014 via Tweetbot for Mac